松野泰己×吉田直樹対談記事

タクティクスオウガ

電ファミニコゲーマーに、タクティクスオウガなどで知られる松野泰己さんと、FFXIVのプロデューサーである吉田直樹の対談記事がアップされています。

作家性

リンク:『FFタクティクス』松野泰己✕『FFXIV』吉田直樹対談──もはやゲームに作家性は不要なのか?企画者に求められるたったひとつの資質とは?

対談記事を読むと松野さんの学生時代の話からクエスト時代、そしてスクウェア時代の話まで、かなり幅広く当時の状況を語っていますね。そして、吉田Pがいかに松野信者であるのかも伝わってくる内容ですw

松野さんの部分に関しては他の対談で語っていてかぶる部分も多かったので新鮮味という点は少なかったですが(僕自身松野信者的なところはあるので好きなんです)、吉田Pが1993年にハドソン入社とは初めて知りました。

元ハドソンというのは知っていましたが、1993年というのが色々と考えさせられるものがありますね。時代的には天外魔境Ⅱが出て、スーパーCDROM2がそこそこ売れて、カブキ伝やらイースⅣやらを作っていた時期ですか。まさかそこからPC-FXに移って早々と次世代機戦争に一人負けするとは93年には思ってなかったでしょうなぁ…ある種激動の時代をハドソンで送ったのかなって…。

それはともかく、対談の中で松野さんは、

スマホのゲームが主流になっているいまの市場で、「作家性なんて誰も求めてないなあ」と。コンシューマーにすら求めなくなっている気がします。

と述べているんですが、まぁある意味真実だろうなと思う反面、僕は松野さんの全盛期というか、それこそ伝説のオウガバトルを発売日に買って、以降タクティクオウガもFFTもベイグラも遊んできた身として感じたのは、「メディアに時代の寵児としてもてはやされすぎて疲れたところもあるのかな」と感じました。

だいたいこの松野さんが当時のスクウェアに移ったぐらいの時期(1996年とか97年)って、松野さんだけじゃなくいろんなゲーム会社のディレクターなりプロデューサーが「ゲームクリエイター」としてメディアに引っ張りだこで賑わっていた時期でもありましたね。例えば先に挙げた天外魔境Ⅱやリンダキューブの桝田省治さんもですし、亡くなられた飯野賢治さんとか、それこそスクウェアであれば坂口博信さんもそうですな。あとはアトラスなら金子一馬さんとか。まぁ一種のスター的な扱いで特集が組まれて、クリエイターのインタビュー記事を目にする機会もかなり多くなったのがあの時代で、当時の松野さんもそうした中の一人としてメディアには登場していた気がします。

中でも松野さんの場合はご自身で脚本を書いていたということもあり、ストーリーとか設定が特に高く評価されて、いわゆる「作家性の強いゲームクリエイター」という形でメディアでは紹介されていた印象が強いです。ゆえにそういうイメージが今でも良くも悪くもつきまとうというか、僕の想像での話ですが、むしろ今ではそのイメージを少し面倒に感じているような気も、対談からは感じました。確か昔は「好きなものを作っていいというのであればシューティングゲームを作りたい」とか、スクウェア時代には語っていた記憶があるのですが、そういった発言と照らし合わせてみても世間や会社から求められるものと自分の作りたい、やりたいことの間で苦しんでいたところがあったのかなって。

それはゲームに限らず誰にでもあることはでありますが、ただあの時代の特殊な空気感…そういったものの中で苦しんでいたところはあったのかなと。僕はそんな感じで松野さんもだいぶ苦労されていたのかもしれないな、と、ちょっと考えさせられました。

なおこの対談の中の最後の方では吉田Pが

そんなにボリュームがなくてもいいからHDのゲームで、なんならレアモンデ(『ベイグラントストーリー』の舞台の都市)を舞台にして、もっとリアルタイムで、玄人がビビッとくるゲームを、松野節全開でやれたらと思います。

(中略)

松野さんがもし松野節でそのシナリオを書いてくれるなら、俺はプロデューサーになります。そして、伊藤さんを連れてきてゲームシステムを作ってもらいましょう。

と、なんとも夢のある話を語ってくれているわけですが、リップサービスで終わることなく、是非とも実現させて欲しいところですな。FFXIVで成功している現役プロデューサーなわけですから、新規タイトルを立ち上げるだけの予算を引っ張ってこれる権力もついたんじゃないかと期待したいところですw

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