久々にΖガンダムを見る #01

機動戦士Zガンダム カミーユ・ビダン

昨夜、AbemaTVでZガンダムを放送していたので、久々に見ました。現在1日2話ずつ放送しているみたいですね。

君は刻の涙を見る…!

懐かしいですなぁ、Zガンダム。1985年放送ですのでもう30年以上前のアニメですね。僕はのちにリメイクされた劇場版3部作も一応全部見ましたが、それでもテレビ版のZガンダムの方が好きです。

Zガンダムを見るのは随分久々なのですが、今こうしてオッサンになって見直してみると、カミーユってかなりエキセントリックな発言が目立つ少年だなとwまぁこれは富野監督も意図してやっていたことなんでしょうけど、それにしてはちょっといきすぎな感じがしなくもないと感じるところはありますね。ただカミーユに関しては親父のフランクリン・ビダンからしてアレですからねぇ…父親という立場を忘れ、リックディアスを盗んでティターンズに帰投しようとする姿を見たらそりゃカミーユ君も精神が崩壊しますよって話ですな。しかも逝く寸前までマルガリータのこと考えてますしね。

富野監督によればZガンダムは「現実認識の物語」だそうですが、歳をとって見直してみるとそうした方向性が良いか悪いかは別として、確かに現実認識…というか現実でもありがちな世俗的な人間像っていうのが色濃く描かれて散りばめられているような印象はあります。例えば先のフランクリンもそうですし、レコアなんかもそうですね。カミーユが自分に恋心を抱いているのを知りながらもそれをうっとおしく思うところもありつつ、一方でイデオロギーとか大義とかは実は関係なく、女として満たされたい、承認されたいという願望が優先された結果シロッコに寝返る。クワトロは元恋人のハマーンのことで頭をかかえるし、アムロは一年戦争のあと地球連邦に豪邸を与えられ、何不自由のない生活の中で骨抜きにされながら生き続けている…などなど。

そんな彼らがぶつかり合って話が盛り上がるシーンもあるにせよ、世間の生々しさとか現実味を出しすぎた部分もあったんじゃないかなと、今はちょっと思うところもあります。もっとパリッといってもよかったんじゃないかなという。その答えがΖΖのジュドーなのかもしれませんが。

Ζガンダムの舞台裏

Zガンダムと言えば劇中でほとんど語られていない設定も多いですよね。放送当時、全部把握できた視聴者というのもほとんどいないのでは、と思います。富野監督の小説版で補完される部分や、制作前に富野監督が書いた「富野メモ」にしか出てこない設定なんかもありますしね。例えばアナハイムエレクトロニクスの メラニー・ヒュー・カーバインの真の目的がユダヤ的なところにあるとか。「テレビでは描けない」、と、注意書きもありましたね。富野監督のこのメモはLD-BOXのライナーノートで一部公開されていましたが、あれ全部公開してもらえないんですかねぇ。富野監督と庵野秀明監督との対談やスタッフの寄稿など、かなり濃厚な内容で面白かったです。

Zガンダム大事典

LD-BOXのライナーノートも面白いのですが、「機動戦士Zガンダム大事典」も資料としてはお勧めですね。僕が持っているのは1999年に再販売された復刻版ですが、Zガンダム放送終了時の富野監督のインタビューや、脚本家、演出家の方々へのインタビュー、さらに全話解説、スタッフリストなどこちらも結構濃い内容です。古本屋さんで見かけたら確保しておくことをお勧めしますよ。やっぱ北爪宏幸くんの…イラストは…最高やな!

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